SLENDER IV.com / 書き下ろし官能小説
彼女は笑わない秘書
秘書が予定表にない恋を選ぶ、雨の夜
人の気持ちは読めても、自分の気持ちだけは予定表に書けない彼女が、雨の夜に選んだのは……。
この物語は作品から着想を得た独立したフィクションです。出演者本人の心情や実際の出来事、レビュー対象の固有場面を示すものではありません。
この小説は、作者自身のアイデアと構想をもとに、AIの支援を受けながら文章化・推敲しています。
WRITTEN FOR SLENDER IV.com
朝の会議室には、まだ冷房の気配だけが満ちていた。
真白は窓際に立ち、机の上へ資料を順番に並べていた。背が高く、細い肩からまっすぐ落ちるジャケットは、彼女の動きに少しの乱れも許さないように見える。長い指が紙の端をそろえるたび、数字の列まで正しい場所へ戻っていく気がした。
「昨夜の連絡、見た?」
私が声をかけると、真白は振り返った。
「はい。先方の言い分は三つです。でも、欲しい答えは一つだけでしょう」
彼女はそれ以上説明しなかった。必要な時に必要な言葉だけを置く。相手が隠している不安や、言いにくそうに飲み込んだ注文まで、真白は先に読んでしまう。だから社内では、彼女に相談する前から嘘をつくのを諦める人が多かった。
真白はほとんど笑わない。
愛想がないわけではなかった。むしろ、相手の話を最後まで聞く目は驚くほどやわらかい。ただ、笑顔だけは誰に対しても慎重に預けているようだった。
その日の会議は長引いた。互いに譲れない事情を、誰もが正しい言葉で包もうとしていた。真白は私の隣で静かにメモを取り、終盤になって一度だけ口を開いた。
「では、今日決めるべきことを戻しましょう」
彼女の声は低くも高くもなく、けれど不思議に人を立ち止まらせた。議論はそこでほどけ始めた。誰かを言い負かしたのではない。全員が、本当はどこへ帰りたかったのかを思い出しただけだった。
会議室を出たあと、私は礼を言った。
「助かったよ。君がいなければ、もっとこじれていた」
真白は首を横に振った。
「私は、皆さんが言わなかった部分を並べただけです」
「それが一番難しい」
返事の代わりに、彼女は視線を落とした。廊下の窓に夕方の光が伸び、真白の横顔だけが少しほどけたように見えた。
それから、彼女は私の秘書になった。
予定は正確になり、忘れていた約束はひとつずつ救い上げられた。真白は取引先の担当者が好む沈黙の長さまで覚え、私が無理をしている日は、会議の間に白湯を置いた。問いただしても、偶然ですと言うだけだった。
私が彼女をよく見ていることに、真白は気づいていたはずだ。
ある雨の夜、最終電車の時間を過ぎても、彼女は秘書室の灯りを消さなかった。私は残った書類を抱えたまま、扉の前で足を止めた。
「まだ帰らないの?」
「部長こそ」
「私は待っているんだ。君が帰るのを」
真白の指先が、ペンの上で固まった。
いつもの彼女なら、すぐに予定の話へ逃げる。明日の出発時刻か、雨の予報か、代行車を呼ぶ手順か。けれど、その夜は何も言わなかった。
「それは、秘書としてですか」
初めて聞く、かすかな揺れのある声だった。
「違う、と言ったら困る?」
真白はゆっくり立ち上がった。ヒールの音が、小さな部屋を横切って私の前で止まる。背の高さは、近くに立つほど意識させられた。涼しげな顔は変わらないのに、目だけが逃げ場を探している。
「私は、人の気持ちならわかります」
「うん」
「怒っていることも、期待していることも。必要なら、言われる前に準備できます」
そこで彼女は息を止めた。
「でも、自分のことになると、順番がわからないんです」
雨が窓を細かく叩いていた。私は急がず、彼女の言葉が消えない距離に立った。
「順番なんて、今はなくていい」
真白の視線が上がった。
「君が嫌なら、ここで帰る。そうじゃないなら、少しだけ一緒にいたい」
彼女は答えるまでに長い時間を使った。その間、私は彼女の沈黙を解こうとしなかった。いつも誰かの沈黙を読み取ってきた人が、自分の沈黙を持つための時間だったからだ。
やがて真白は、ほんの少しだけ手を差し出した。
触れた指は冷たかった。けれど、離れようとしなかった。
「少しだけなら」
その言葉に、私は頷いた。彼女の手を包んだまま、窓際の椅子へ並んで座った。仕事の話はしなかった。雨音を聞きながら、他愛ない失敗や、子どもの頃に好きだった本の話をした。
真白は、ときどき短く笑った。
それは会議室で誰かを安心させるための笑顔ではなかった。うまく隠せなくなった感情が、ほんの少し口元にあらわれただけの、不器用な笑顔だった。
帰り際、彼女はいつものように私の明日の予定を確認した。
「九時にお迎えします。資料は車内で」
それから、視線をそらしたまま付け加える。
「今夜のことは……整理してから、また考えさせてください」
私は笑ってしまいそうになったが、からかわないようにした。
「待ってる」
真白は頷いた。
扉を開ける前、彼女は一度だけ振り返った。普段なら決して見せない迷いを、そのまま抱えた顔だった。それでも、その目にはもう、誰かの気持ちを読むときとは違う熱が宿っていた。
彼女は笑わない秘書だった。
けれどあの夜から、笑わないことだけで自分を守るのは、少しずつ難しくなっていった。