SLENDER IV.com / 書き下ろし官能小説
ひとつだけの名前
アイドルとホスト、名前でつながる夜
笑顔を仕事にしてきたアイドルの遥が、名前を呼んでくれるホスト・拓海の優しさに、救いと不安を同時に見つけていく。
この物語は作品から着想を得た独立したフィクションです。出演者本人の心情や実際の出来事、レビュー対象の固有場面を示すものではありません。
この小説は、作者自身のアイデアと構想をもとに、AIの支援を受けながら文章化・推敲しています。
WRITTEN FOR SLENDER IV.com
ホテルの天井は、夜の水槽みたいに青白かった。
遥は目を閉じたまま、男の肩に額を押しつけていた。耳の近くで、男が何度も自分の名前を呼ぶ。優しい呼び方だった。やわらかく、間違いなく、まるでずっと前から彼女のことを知っている人のように。
男の腰が奥まで届くたびに、遥の身体は小さく震えた。気持ちの良いものが体内を押し広げ、息が詰まる。男は遥の反応をひとつずつ確かめるように動きを合わせてきた。名前を呼ばれるたび、遥の内側が熱く溶けていく。普段は多勢の誰かに見られているばかりだった身体が、今はただ一人のものとして扱われている。そのことが、妙に安心で、同時に怖かった。
「遥……気持ちいいよ」
男の声が耳のすぐ近くで落ちる。遥は彼の背中に爪を立て、自分から腰を上げた。ぶつかり合うたび、甘い痺れが下腹部から背筋を駆け上がる。しかし、満たされているはずなのに、胸の奥で何かがぎゅっと締めつけられた。嬉しいのに、なぜか目が熱い。身体は確かに彼を求め受け入れている。それなのに、心はどこかで泣いていた。
「痛かった?」
男が動きを止めた。遥は首を振った。
「違う。大丈夫」
大丈夫、と言うと、男は安心したように息を吐いた。遥はそのことが少し可笑しく、少しだけ悲しかった。大丈夫ではないのに、彼女はいつも誰かを安心させる言葉を先に選んでしまう。
彼の手が頬に触れた。遥はその手を握り返した。身体が求める熱と、胸の奥に沈んだ寂しさは、別々のものなのに離れなかった。
その理由を、遥はまだ言葉にできなかった。
*
笑顔を作ることは得意だった。
握手会で名前を呼ぶことも、撮影の合間に「今日、来てくれてありがとう」と特別な色を持たせて言うことも。誰かが彼女の写真を大事そうに差し出せば、そこに書く短い言葉を選ぶことも。
遥は売れたいと思っていた。
売れれば、今より少し広い部屋に住める。母に何かを買ってあげられる。選ばれる側ではなく、選ぶ側になれる。そう思って、レッスンにも、配信にも、イベントにも、遅れずに出た。
けれど、笑顔を渡すたびに、少しずつ他の何かも持っていかれている気がした。
「遥ちゃん、本当に僕のこと覚えてる?」
ファンの男性に聞かれたことがある。
覚えている、と遥は言った。実際、顔も名前も覚えていた。彼がいつも地方から来ることも、仕事を休んで会いに来ることも知っていた。
だからこそ、その熱心さに応える責任のようなものを感じた。自分の笑顔や言葉で、誰かの一日が少し軽くなるなら、それは悪いことではないはずだった。
それでも、終電の近い駅で一人になると、遥はスマートフォンの画面を伏せた。
最初に彼の店へ入ったのは、そんな夜だった。
友人に誘われたわけでもない。ただ、駅前の看板に書かれた「初回」という文字が、妙に親切に見えた。知らない場所なら、自分のことを何も説明しなくていい気がした。
拓海は、遥があの"遥"であることにすぐ気づいた。
けれど、特別に騒がなかった。
「大変そうだね」
最初に言われたのは、その一言だった。
可愛いね、でもなく。テレビで見たよ、でもなく。何か飲む? と聞く前に、拓海は遥の疲れた目を見た。
「仕事だから笑ってるんでしょ。でも、今は笑わなくていいんじゃない」
それだけで、遥は泣きそうになった。
二度目に店へ行ったとき、会計を見て少し驚いた。初回とは違う。指名料も、席料も、飲み物も、それぞれにちゃんと値段があった。
それでも行った。
ファンからもらった手紙の中には、遥が頑張る理由を自分の生活のなかに見つけている人の言葉があった。嬉しかった。けれど、嬉しいと同じだけ、そこから逃げたい夜もあった。
拓海の店では「遥ちゃん」でいられた。誰かの理想のアイドルではなく、疲れた顔を隠すのが下手な二十代の女でいられた。
もちろん、そんな言葉も、拓海の仕事なのかもしれない。
そのことは分かっていた。
分かっているから、会計を済ませたあとにいつも少しだけ苦しくなった。店の外に出れば、拓海は次の客のところへ戻る。自分だけが特別だと思うほど、遥は子どもではなかった。
それでも、足は店の方へ向いた。
*
ホテルの暗い部屋で、拓海は遥の目尻を親指でぬぐった。
「また泣いてる」
「嬉しいの」
「嬉しい?」
「うん。こうして、私の全部見てくれるから」
言葉にしたあと、すぐに怖くなった。そんなことを言えば、拓海に軽く扱われるかもしれない。けれど拓海は、ただ、遥を抱き寄せた。
再び動き始めた拓海の腕の中で、遥は小さく息を吐いた。
「…あっ…ん」
拓海の手が彼女の腰を支え、深く往復する。さっきまでの激しさとは違う、丁寧で執拗なリズムだった。名前を囁かれながら奥まで満たされるたび、遥の指先が彼の背中爪を立てる。熱が下から突き上げ、甘い痺れが腰を溶かす。声にならない吐息だけが、部屋の暗がりに落ちた。
「……拓海」
遥が彼の名前を呼ぶと、拓海はさらに動きを深めた。身体の奥で熱がぶつかり、遥の太ももが小さく震える。快感と、居場所があるような感覚が同時に胸を満たす。それでもどこかで、この優しさに値段がついていることを遥は忘れていなかった。それでも今は、疑うことをやめたかった。
「遥…」
「うん……気持ちいい…」
拓海が果て、熱が静まっていくにつれ、遥の身体は力を失っていった。拓海は彼女を離さず、肩を抱いたまましばらく動かなかった。汗で湿った肌が、ゆっくりと冷えていく。
熱は完全に静まり、拓海は眠っていた。遥は薄暗い部屋でスマートフォンを見た。明日の予定。収録。レッスン。夜には配信。
通知の中に、ファンからの短いメッセージがあった。
「今日も笑顔でいてくれてありがとう」
遥は画面を閉じた。
明日になれば、また笑う。誰かのために、きれいに笑う。そうして受け取ったものの一部を、また拓海のいる場所へ持ってくるのかもしれない。
眠る拓海の寝息を聞きながら、遥は自分の手を胸元で握った。
涙が出る理由を、彼女はまだ一つには決められなかった。
寂しいのに、満たされていた。
名前を呼ばれるたび、来てよかったと思ってしまう。
白くなりはじめた窓の向こうを見て、遥はスマートフォンを閉じた。