04 / FICTION

SLENDER IV.com / 書き下ろし官能小説

好きになる前の夜

失恋を打ち明けた夜、冗談が変わる

いつもの冗談に、その夜だけ「うん」と答えた美緒。失恋を打ち明けた先で、まだ恋とは呼べない選択が始まる。

創作であること

この物語は作品から着想を得た独立したフィクションです。出演者本人の心情や実際の出来事、レビュー対象の固有場面を示すものではありません。

この小説は、作者自身のアイデアと構想をもとに、AIの支援を受けながら文章化・推敲しています。

WRITTEN FOR SLENDER IV.com

直樹は、食事が終わるたびに同じことを言った。

「このあと、うち来る?」

少し笑いながら、断られるのを先に知っている顔で。

最初に言われたとき、美緒は本気にして困った。けれど二度目からは、二人の間にある決まり文句になった。

「行くわけないでしょ」

「今日も駄目か」

「今日も何も、毎回駄目」

「いつか間違えて、うんって言うかもしれない」

「絶対ない」

そんなやり取りをして、駅で別れる。

直樹はいつも笑って手を振った。それ以上誘わなかったし、断った理由も聞かなかった。

だからその夜も、会計を終えて店を出たところで、直樹はいつもの調子で言った。

「このあと、うち来る?」

美緒は立ち止まった。

「うん」

直樹は二歩ほど先へ進んでから振り返った。

「え?」

冗談に返すために用意していた笑顔が、そのまま消えていた。

「今、うんって言った?」

「言った」

「どうしたの」

あまりに素直に聞かれて、美緒は笑いそうになった。誘った本人が一番驚いている。

けれど笑おうとした唇は、うまく動かなかった。

「振られたから」

直樹の表情が変わった。

「好きだった人に告白して、振られた。だから、その話を聞いてほしい」

「俺の部屋で?」

「うん」

「美緒、それは駄目だよ」

「駄目?」

「ずるい」

責めるような声ではなかった。困った顔で、それでも目だけは美緒から逸らさなかった。

直樹が以前から自分を好きなことを、美緒は知っていた。その直樹に、別の男に振られた話を聞いてほしいと言っている。しかも、何度も断ってきた部屋へ、今日だけ行こうとしている。

ずるいと言われて当然だった。

「分かってる」

「分かってて言ってる?」

「今日は一人で帰りたくないの」

「それもずるい」

「じゃあ、断って」

直樹はしばらく黙っていた。

駅へ向かう人の流れが二人の横を通り過ぎる。美緒は、断られたら一人で帰るつもりだった。今夜もう一度拒まれるのは怖かったが、それは直樹に背負わせることではない。

やがて直樹は、小さく息を吐いた。

「話を聞くだけだからね」

「うん」

「俺が毎回言ってたことも、今日は忘れて」

「分かった」

「本当に?」

「たぶん」

「そこは、はいって言ってよ」

美緒は今度こそ笑った。

直樹の部屋へ向かう電車で、二人はほとんど話さなかった。いつも食事をする直樹と、部屋へ連れていく直樹が、同じ人なのに少し違って見えた。

部屋は思っていたより片づいていた。直樹は美緒をソファへ座らせ、冷蔵庫から水を出した。

「お酒はやめておこう」

「どうして?」

「今の美緒に飲ませたら、俺が自分を嫌いになりそうだから」

美緒はペットボトルを受け取った。

「じゃあ、聞いて」

直樹は向かいの床へ座った。隣ではなく、手を伸ばしても届かない場所だった。

美緒は、好きだった人の話をした。

同じ職場で知り合ったこと。最初は何とも思っていなかったこと。仕事を助けてもらううちに、会える日を数えるようになったこと。何度も告白をやめようとして、それでも期待を捨てきれなかったこと。

そして三日前、自分から好きだと言ったこと。

彼は優しく断った。傷つけたくないという気遣いが伝わる言葉だった。だから美緒は、泣くことも怒ることもできず、「分かりました」と笑った。

「今日まで、誰にも言えなかった」

話し終えるころには、膝の上で握った指が痛くなっていた。

直樹は慰めの言葉を急がなかった。

「まだ好き?」

「たぶん」

「そっか」

「怒ってる?」

「少し」

「私に?」

「美緒を振った人に。でも、その人にも事情があるんだろうし。あと、こんな日に俺の部屋へ来る美緒にも少し」

「やっぱり、ずるい?」

「すごくずるい」

直樹はそう言ってから、少しだけ笑った。

「でも、来てくれて嬉しいと思ってる俺も、同じくらいずるい」

その言葉で、美緒は初めて彼の顔をまっすぐ見た。

ずっと断られる側だった直樹は、今夜の「うん」を喜べたはずだった。それでも彼は隣へ座らず、酒を出さず、手が届かない場所で話を聞いている。

「直樹は、私の何が好きなの?」

「今、それ聞く?」

「聞きたい」

「そういうところ」

「どういうところ?」

「自分が聞きたいと思ったら、こっちの準備を待たないところ」

「悪口みたい」

「半分はね」

残りの半分を、美緒は待った。

直樹は視線を落とし、言った。

「笑うのを我慢してるとき、先に目が笑うところ」

美緒は何も返せなかった。

振られた相手のことを考えている間も、直樹は自分のそんな小さなところを見ていた。

「今日はソファを使って。俺は寝室で寝るから」

直樹が立ち上がった。

「もう寝るの?」

「話を聞くだけって約束した」

「毎回、うち来るって聞いてたのに」

「毎回断られると思って言ってたから」

「もし、前に私がうんって言ってたら?」

「そのとき考えた」

「今日、考えて」

直樹の動きが止まった。

美緒は自分が何を言っているのか分かっていた。失恋を忘れたいだけかもしれない。好かれていることを確かめたいだけかもしれない。明日の朝には後悔するかもしれない。

それでも、何も知らないまま直樹の優しさだけを借りて眠ることも、違うと思った。

「私、直樹を好きになったわけじゃない」

「分かってる」

「あの人のことも、まだ好き」

「うん」

「それでも、今夜は直樹に触れてほしいと思ってる」

直樹はすぐには近づかなかった。

「寂しいから?」

「それもある」

「それも?」

「直樹がどんな人なのか、もっと知りたい。私があなたに触れたら、何を感じるのかも知りたい」

「美緒」

「ずるいままで始めたくない。だから、今の気持ちは全部言った」

直樹は美緒の前へ来て、少し距離を残して立った。

「途中で違うと思ったら?」

「止める」

「俺が止めても怒らない?」

「それは少し傷つくかも」

「正直だね」

「でも、怒らない」

直樹が手を差し出した。

美緒はその手を取り、自分から立ち上がった。

最初のキスは短かった。直樹が離れようとする前に、美緒は彼のシャツをつかみ、もう一度唇を重ねた。

「今度は私が聞く」

「何を?」

「このあと、寝室行く?」

直樹は目を見開き、それから困ったように笑った。

「それ、俺の台詞だったのに」

「今日だけ貸して」

「うん」

今度は直樹がそう答えた。

寝室の明かりは、直樹が一番弱い段階まで落とした。美緒は彼の手首を握ったままベッドの縁に座り、もう一度唇を求めた。直樹のキスは浅く、戸惑いがそのまま残っていた。美緒が舌先を重ねると、彼は小さく息を飲んで応えたが、手は彼女の背中に置いたまま、それ以上は進まなかった。

「直樹、固まってる」

「……ごめん。頭では分かってるつもりなんだけど」

「分かってるよ。無理に動かなくていい」

美緒はそう言って、自分から彼の胸に触れた。シャツの下の体温が、思ったより熱かった。抱き合っているだけの時間が続き、直樹の心臓の音が耳に伝わってくる。美緒は自分の指先を見下ろした。ずっと片想いの好きな人がいたことから、こうして男の身体に触れるのは久しぶりだった。手順が頭のどこかで途切れている。どうしてたっけ、という空白が、恥ずかしさより先に来た。

「美緒?」

「ちょっと待って。思い出し中」

「思い出し中って、何を」

「こういうときの、次」

直樹が苦笑した気配がした。美緒はその笑いに助けられて、ベルトに指をかけた。金属の音が小さく鳴る。直樹は腰を引くようにしたが、美緒が「いい?」と聞くと、しばらくして「うん」とだけ答えた。布を下ろすと、すでに熱を持ったものが露わになった。美緒は掌で包み、ゆっくり上下させた。久しぶりに触れる感触に、自分の指がぎこちない。

「痛くない?」

「痛くない。……美緒の手、冷たい」

「ごめん。温めながらにする」

会話をしながら動かすと、直樹の呼吸が少しずつ乱れた。美緒は膝をついて顔を近づけ、先端に唇をつけた。体温が舌に触れる。浅く口に入れ、頬の内側で確かめた。直樹の太ももが震える。

「美緒、そんな……いきなり」

「いきなりじゃない。今、考えてからしてる」

「考えてる顔、見えるよ」

「見ないで。下手だったら言って」

「下手とか、そんな……」

舌を裏側へ滑らせると、直樹の声が途切れた。美緒はリズムを探し、時々口を離して「ここ?」と聞き、直樹が「そこ」と小さく頷くたびに、もう一度含んだ。唾液で濡れた柱を掌で扱きながら、先と裏側を交互に味わった。直樹の指が彼女の髪に触れて、すぐ離れる。積極的にはなれない彼の迷いが、その迷い方ごと伝わってきた。

「直樹、気持ちいい?」

「……いい。美緒が、俺のこと見てるのが」

実際、直樹の目尻が緩んでいた。欲しがるというより、信じられないものを渡されている顔だった。美緒はその表情に胸の奥を掴まれた。好きな人を想う痛みは残っている。それでも今、目の前の男がこんな顔をしているのは、自分の選択の結果だった。

直樹の腰がわずかに前へ出た。喉の奥で熱が膨らむ気配がする。美緒は口を離し、親指で先端を押さえた。

「イキそう?」

「……うん。ごめん、早くて」

「謝らなくていいよ。まだ終わりにしない」

美緒は彼の手を取り、自分のスカートの内側へ導いた。指の腹を自分の熱い場所へ置かせ、動かし方をゆっくり教えた。

「こう。円を描くみたいに」

「ここ?」

「もう少し上。……あ、そこ」

久しぶりの快感が、下腹部から背中へ走った。美緒は直樹の肩に顎を預け、息を整えながら腰を預けた。自分で選んで触れさせている感覚が、空白を埋めていく。直樹の指は不器用で、だからこそ正直だった。濡れていく音が二人の間で小さくなった。

「美緒、こんなに……」

「久しぶりだから。身体が先に思い出してる」

「苦しくない?」

「うん、気持ちいいよ。直樹の指、温かい」

美緒は彼の首筋にキスをし、シャツのボタンを外した。胸に頬を寄せ、乳首を舌先で転がすと、直樹がまた戸惑った声を出した。美緒は笑って「苦手?」と聞き、「苦手じゃない。恥ずかしい」と返されて、もう一度優しく吸った。互いの肌が増えるたびに、会話が短くなっても途切れなかった。

「コンドーム、ある?」

「引き出し。俺が」

直樹が身を屈めて取り出す手が震えていた。美緒が包装を破り、彼の男根に被せる。ゴムの感触を掌で慣らすあいだも、直樹は美緒の膝から目を離さなかった。

「乗っていい? 今日は私が上のほうが、直樹も楽でしょ」

「……うん。美緒が決めて」

美緒は直樹をベッドに寝かせ、跨った。入り口に先端を当て、自分の重みで少しずつ沈める。久しぶりに拡げられる感覚に息が止まった。直樹の両手は彼女の腰に添うだけで、押し込まない。

「入ってる。直樹」

「美緒」

「痛い?」

「痛くない。すごい気持ちいい」

言葉に刺激され、美緒は腰を円く揺らし、浅いところを擦った。深いところへ落とすときは、直樹の目を見てからにした。彼が「大丈夫」と呟くたびに、もう一寸だけ受け入れた。結合したまま前屈みになり、キスを重ねる。唾液が糸を引き、額に汗が滲む。

「直樹の顔、好きかも。こういうときの」

「今、好きって言った?」

「顔が、だよ。調子に乗らない」

「乗らない。……でも嬉しい」

その嬉しさが、また美緒を動かした。彼女は一度腰を上げ、後ろ向きに座り直して、直樹の掌を自分の胸へ持っていった。導くように揉ませ、乳首を指で挟ませる。後ろから見える自分の腰の動きを意識しながら、浅く突いてもらった。直樹はまだ遠慮がちで、美緒が「もう少し強くて大丈夫だよ」と言うまで、振幅を変えなかった。

体位を変えた。横向きに重なり、片脚を上げて側面から入れる。密着したまま耳元で話す。

「まだ、あの人のこと考えてる?」

「考えてない、今は」

「嘘でも、今はそれでいい」

「嘘じゃない。あとで考えるのは、明日の私」

直樹が彼女の陰核を、教えた円のまま撫でた。美緒の声が裏返り、内側が強く絡みつく。イキそうな波が来ると、美緒は彼の手首を押さえて速度を落とし、波を長くした。一気に頂点へ走らせず、縁を歩くように感じ続けた。

「美緒、俺も……」

「待って。一緒がいい」

「無理かも」

「じゃあ、先にイッて。顔、見せて」

直樹が小さく首を振ったあと、腰の動きが乱れた。美緒は彼を抱きしめたまま受け入れ、射精の脈を内側で数えた。ゴムの奥で熱が広がる感覚に、自分の快感も追いついた。長く震えて、息が戻るまでお互いの背中を撫で合った。

まだ硬さが残っていることに気づいて、美緒は笑った。

「まだいける?」

「美緒が、そう言うなら」

新しいコンドームに替え、今度は直樹を立たせて、美緒がベッドの縁に腰をかける。脚を開いて導き、浅い突きを繰り返させた。鏡のない部屋で、互いの表情だけが手がかりだった。美緒は彼の手を自分の口に含み、指を濡らしてから再び陰部へ戻した。自分で驚くほど大胆になっていたが、会話は途切れ途切れでも続いた。好きな場所、やめたい速さ、もう一度キスがほしいこと。直樹は戸惑いを残したまま、美緒の言葉に従って身体を重ねた。

二度目は長かった。美緒が仰向けになり、直樹が覆いかぶさる。深く入りすぎないよう、美緒が腰で制御した。胸を吸い、耳を舐め、時々止まって笑い合う。直樹の幸せそうな目を見るたびに、美緒はまだ終われないと思った。失恋の穴を埋めるためではなく、今この温度を選んでいる自分を確かめるために。

美緒は彼を仰向けに戻し、再び口で扱った。先ほどの射精の名残を舌で拭い、敏感になった先端を浅く含んでは離す。直樹が「また」と声を上げると、美緒は自らの手で自分を刺激した。今度はよく知った快感に身を委ねながら、彼女は自分の声を隠さなかった。

夜が静かになったあと、美緒は直樹の胸に頬を寄せていた。

失恋の痛みは消えていなかった。目を閉じれば、振られた日の声をまだ思い出せる。

それでも今は、直樹の呼吸を聞いていた。緊張すると少し速くなり、安心するとゆっくり長くなる。その変化を、自分の身体のすぐそばで知った。

「後悔してる?」

直樹が聞いた。

美緒は少し考えた。

「明日の私は、悩むと思う」

「今は?」

「今は、自分でうんって言ったと思ってる」

直樹は美緒の髪を撫でた。

「毎回聞いておいてよかった」

「調子に乗らないで」

「次も聞いていい?」

「次は分からない」

「そっか」

残念そうに言いながら、直樹は笑っていた。

朝、美緒が目を覚ますと、カーテンの隙間から細い光が入っていた。

直樹はまだ眠っている。

恋人の寝顔を見るような気持ちではなかった。愛しいとも、ずっとそばにいたいとも、まだ言えない。

けれど、昨日までの直樹は、美緒を好きでいてくれる便利な誰かだった。今は、冗談を言う前に少しだけ間を置き、緊張すると息を短く吸い、触れる前には答えを待つ、一人の人としてそこにいる。

美緒はベッドを出て、カーテンを少し開けた。

「帰る?」

背後から、眠そうな声がした。

「帰る。でも、その前に朝ごはん食べたい」

「何かあったかな」

「なかったら買いに行こう」

直樹が身体を起こした。

「また食事に誘ってもいい?」

美緒はすぐには答えなかった。好きだからではない。昨夜の責任を取るためでもない。今の自分が何を選びたいのかを確かめた。

「うん」

直樹が驚いた顔をする。

「どうしたの?」

「いや。いつもなら、予定を確認してからって言うから」

「次は、寂しくない日に会いたいの」

直樹は笑った。

その笑顔を見て、美緒も笑った。

まだ恋ではない。

それでも今度の「うん」は、忘れるためだけの返事ではなかった。