SLENDER IV.com / 書き下ろし官能小説
聞く男
失恋のあと、言葉の奥を聞かれる夜
失恋直後の女性が、会話の主導権を静かに握る男と出会い、自分でも知らなかった望みを言葉にしていく。
この物語は作品から着想を得た独立したフィクションです。出演者本人の心情や実際の出来事、レビュー対象の固有場面を示すものではありません。
この小説は、作者自身のアイデアと構想をもとに、AIの支援を受けながら文章化・推敲しています。
WRITTEN FOR SLENDER IV.com
彼と別れて三週間。
悲しくて眠れない、という時期はもう過ぎていた。
困ったのは、生活の中に妙な空白ができたことだった。
金曜の夜に予定がない。 土曜の朝にメッセージを確認する必要もない。 新しい服を買っても、見せる相手がいない。
自由になった、と言えば聞こえはいい。
でも実際は、暇だった。
そして私は、暇になるとろくなことをしない。
ベッドに寝転がったままスマホをいじり、なんとなく広告で見かけたマッチングアプリを入れた。
どうせなら、恋人探しを前面に出したものではなく、もう少し目的の分かりやすいものを選んだ。
別に純愛がしたいわけじゃない。
長く付き合った男と別れた直後に、また一から趣味だの休日の過ごし方だのを説明するなんて、考えただけで面倒だった。
少しくらい刺激があってもいい。
それくらいの気持ちだった。
ところが、始めてみるとつまらなかった。
届くメッセージは、妙に馴れ馴れしいか、妙に必死か、その両方だった。
――会える?
――どこ住み?
――写真もっと見たい。
はいはい。
分かりやすい。
私だって似たような目的で登録したのだから文句を言う筋合いはないのだが、それでも、もう少しこう……なんかないのか。
そんな中で、一人だけ妙な男がいた。
口説いてこない。
褒めてもこない。
こちらが何か言うと、少し変わった角度から返事が来る。
「寂しいから始めたのかも」
と送ったときも、
「寂しいとき、人は誰かを探すんじゃなくて、自分がまだ誰かに必要とされるか確かめたくなるんじゃない?」
と返ってきた。
何それ。
心理学者か。
少しムッとした。
なのに、その男とのやり取りだけは切らなかった。
むしろ気づけば、私からメッセージを送ることが増えていた。
数日後。
とうとう私から聞いた。
「会ってみる?」
返事は短かった。
「いいよ」
スマホを見つめた。
――いいよ、って何よ。
誘ったのは私だけど。
もうちょっとないの?
「会いたかった」とか。 せめて「ぜひ」とか。
腹が立ったので、会うことにした。
意味が分からない。
待ち合わせ場所へ向かいながら、私は何度も帰ろうと思った。
遠くから確認して、変な男だったらそのまま帰ろう。
どうせ向こうだって「いいよ」程度なのだ。
ところが。
待ち合わせ場所に立っていた男を見つけて、私は足を止めた。
――あれ?
アプリの写真を見る。
顔を上げる。
また写真を見る。
――イケメンじゃん。
ちょっと待て。
これは聞いてない。
服装は少し変わっていた。
派手というほどではない。ただ、普通なら選ばないような組み合わせを、妙に自然に着ている。
そして写真よりずっと格好いい。
――当たりじゃん。
急に機嫌がよくなった。
我ながら現金だと思う。
食事をした。
そして驚くほど会話が弾まなかった。
こちらが話せば答える。 質問すれば返ってくる。
でも向こうから必死に話題を探す様子がない。
沈黙も気にしていない。
なんだこの時間。
普通なら、とっくに帰っている。
でも目の前にいるのはイケメンだった。
……もったいない。
私は自分でも呆れるほど正直だった。
店を出たところで聞いた。
「ホテル、行く?」
彼は私を見た。
「いいよ」
またそれか。
――いいよって何よ。
この私が誘ってるんだけど。
いや、自分で言うのもなんだけど、私はそんなに悪くない。
たぶん。
少なくとも「いいよ」で済まされるほどではない。
……まあいい。
イケメンだから許す。
ホテルの部屋に入るまでは、そんなことを考えていた。
*
だから当然だと思っていた。
部屋に入れば距離が近くなって、そのまま自然に始まるのだと。
けれど彼は何もしなかった。
上着を脱ぐと、椅子を指した。
「そこ、座って」
「え?」
その瞬間だった。
何かが変わった。
声が大きくなったわけではない。
命令口調ですらない。
それなのに私は、言われた通りソファに座った。
彼は向かい側のベッドに座る。
テーブルを挟んで、少し距離がある。
ホテルまで来た男女が向かい合って座っている。
どう考えてもおかしい。
なのに、さっきまでよりずっと彼を意識していた。
「質問していい?」
「……何?」
食事をしているときには無愛想としか思わなかった声が、二人きりの部屋では違って聞こえた。
静かで、低い。
身体に響く声。
「今日、俺を見たとき、どう思った?」
「格好いいと思った」
「それだけ?」
「それだけって?」
「男として見た?」
返事が一瞬遅れた。
「……まあ」
「どんなふうに?」
私は彼を見た。
そこで初めて、彼の右手が気になった。
口元に置かれている。
長い指。
さっき食事をしているときにも見ていたはずなのに、今になって妙に目についた。
「何見てる?」
「別に」
反射的に目をそらした。
「俺の手?」
心臓が跳ねた。
「……そうだけど」
「どうして?」
分からない。
本当に分からなかった。
ただ、その指が自分に向かって伸びてくるところを想像してしまった。
私は膝の上で手を握った。
「ホテルに来たからじゃない?」
「ホテルに来ると、男の手が気になる?」
「知らない」
彼は追わなかった。
その代わり、別のところへ来た。
「今日、本当は何を期待して来た?」
私は彼の顔を見る。
答えようとして、視線が少し下へ落ちた。
シャツの襟元。
肩。
その下にある身体。
服を着ているから分からない。
分からないから、想像してしまう。
どんな身体なんだろう。
そう思った瞬間、自分で驚いた。
私はいつから、こんなことを考えていた?
「今、何考えた?」
ぞくりとした。
「何も」
「嘘」
「……なんで分かるの」
「目が動いたから」
私は黙った。
彼は私に一度も触れていない。
立ち上がれば帰れる。
質問に答える必要だってない。
それなのに私は座ったままだった。
「俺の身体、想像した?」
答えたくなかった。
「した?」
「……少し」
口にした途端、身体の内側に熱が生まれた。
考えているだけなら、自分だけのものだった。
でも言葉にした瞬間、それを彼と共有してしまった。
私が彼の身体を想像したことを、この男が知っている。
その事実が恥ずかしかった。
でも、その恥ずかしさを、嫌だとは思わなかった。
「どんな感じだと思った?」
「そこまで言わなきゃ駄目?」
「駄目じゃない」
「じゃあ言わない」
「うん」
彼はそれ以上求めなかった。
沈黙が落ちる。
終わった。
そう思った。
なのに、なぜか落ち着かなかった。
聞いてほしかったのだと気づくまで、少し時間がかかった。
「……普通、もうちょっと聞かない?」
彼が私を見る。
「言いたいの?」
しまった。
まただ。
「違うけど」
「じゃあ聞かない」
私は唇を噛んだ。
この男は一度も私を追い詰めていない。
嫌ならやめる。
答えなくてもいい。
帰ることだってできる。
逃げ道を全部残したまま、私が戻ってくるのを待っている。
「……答える」
自分から言っていた。
「さっきの。もう一回」
「俺の身体を、どんな感じだと思った?」
さっきより答えにくくなっているじゃないか。
私は彼の肩を見た。
「……服着てるより、ずっと男っぽいのかなって」
声が小さくなった。
「確かめたい?」
喉が乾いた。
答えられない。
でも頭の中では、もう答えていた。
知りたい。
シャツの向こう側を。
さっきから気になって仕方がない指が、自分に触れたらどう感じるのかも。
そこまで考えて、私は息を止めた。
どうしたんだろう。
さっきまでこの男を「無愛想だけど顔はいい」程度にしか思っていなかったのに。
質問されるたび、想像してしまう。
そして想像するたび、その本人が目の前にいることを意識する。
手を伸ばせば届く距離に。
それなのに、彼は来ない。
「触れてほしい?」
低い声だった。
今までで一番簡単な質問だった。
だからこそ答えられなかった。
「……分からない」
「じゃあ、想像してみて」
その言葉で、逃げ場がなくなった。
彼がそこから立ち上がるところを想像した。
こちらへ来る。
あの指が自分に触れる。
その先まで考えそうになり、慌てて思考を止めた。
けれど、一度生まれた想像は消えなかった。
止めようとするほど鮮明になった。
「嫌だった?」
私は首を振った。
「じゃあ、どうだった?」
答えたくない。
言ってしまえば、何かが変わる。
それでも彼は待っている。
触れない。
近づかない。
私が自分で言うまで。
そこで、ようやく分かった。
この男が何をしているのか。
彼は私を興奮させようとしているんじゃない。
私の中にもう生まれているものを、私自身に見つけさせている。
質問される。
想像する。
否定する。
また質問される。
今度は少しだけ正直になる。
そのたび、想像が具体的になっていく。
そして、その想像の中にいる男が、ずっと目の前にいる。
触れられないことが、刺激になっていた。
「……ねえ」
気づけば私から呼んでいた。
「何?」
「あなた、いつもこうなの?」
「どういう意味?」
「女の人に……こんなこと聞くの?」
「たまに」
「趣味?」
少し考えてから、彼は頷いた。
「たぶん」
「何が楽しいの?」
彼は初めて、少し長く考えた。
「その人が隠してるものを、その人自身が認める瞬間を見ること」
身体の奥がきゅっと縮んだ。
「……変な人」
「そうかも」
「それで?」
「何?」
「私には何があると思ってるの?」
言ってから気づいた。
今度は私が知りたがっている。
彼が私の中に何を見つけたのか。
彼は答えなかった。
「知りたい?」
私は頷いた。
もう否定するのにも疲れていた。
「今、一番我慢してることは何?」
私は顔を上げた。
答えはもう分かっていた。
「……分かってるくせに」
ようやく出た声は、自分でも驚くほど弱かった。
「分からない」
「嘘」
「君が言わないと分からない」
この男は、最後の一歩だけは絶対に代わってくれない。
「言ったら……どうするの?」
彼はすぐには答えなかった。
その沈黙だけで、また想像する。
指。
肩。
胸元。
立ち上がったときの彼の高さ。
あの声を、耳元で聞いたら。
「俺に決めてほしい?」
私は息を飲んだ。
違う。
ずっとそうだった。
この人は答えをくれない。
代わりに、私が何を欲しがっているのかを問い返す。
だから想像する。
想像しているうちに、それが願望になる。
もう何かに触れたかった。
このもどかしさをどうにかしたかった。
それなのに、この男の前で自分から崩れることが、たまらなく恥ずかしい。
そして。
それを見られたい自分もいた。
その矛盾に気づいた瞬間、胸が苦しくなるほど高鳴った。
私は彼の手を見た。
「……私に触れたいと思ってる?」
初めてだった。
私から、そこまで聞いたのは。
彼は少しだけ間を置いた。
「思ってる」
胸の奥で、何かが弾けた。
「……え?」
「思ってるよ」
私だけじゃなかった。
この男も我慢していた。
その事実が、それまでの質問を全部違うものに変えた。
「最初から?」
「最初からじゃない」
「じゃあ、いつから?」
「君が俺の手を見てたあたり」
息が止まった。
全部、気づかれていた。
私が指を見ていたことも。
身体を想像したことも。
触れられたら、と考えてしまったことも。
そしてその間、この男も何も感じていなかったわけじゃない。
同じ部屋で。
手を伸ばせば届くところで。
私を欲しいと思いながら、ずっと座っていた。
「じゃあ……」
声が震えた。
「なんで何もしないの?」
「君が何を欲しいのか、君自身がまだハッキリ分かってなかったから」
「だからって……」
「俺が先に決めたら、君の本当じゃなくなる」
その言葉で、最後に残っていたものが切れた。
この男は、私が自分で認めるところを待っていた。
私が自分の言葉で欲しがるところまで。
そして私は、そこまで来てしまった。
もう座っていられなかった。
立ち上がった。
数歩しかない距離を、自分から詰めた。
それでも彼は動かない。
こんなところまで来ても、まだ私に選ばせる。
だったら。
私は彼のシャツを掴んだ。
思っていたより強く。
彼の身体が初めてこちらへ引かれた。
近い。
さっきまで想像することしかできなかった胸元が、目の前にある。
彼の息が聞こえた。
そこで気づいた。
彼も、呼吸が少し乱れている。
その小さな変化が、何よりも効いた。
「……我慢してるじゃん」
彼は答えなかった。
初めてだった。
私の質問に、この男がすぐ答えなかった。
その表情を見た瞬間、強いものが込み上げた。
私だけじゃない。
「ずるいね」
「何が?」
「私にばっかり言わせて」
掴んだシャツを離さないまま、顔を上げた。
もう逃げなかった。
「今度はあなたが言って」
彼の目が変わった。
「何を?」
「私に何をしたいのか」
沈黙。
今度は私が待った。
ほんの数秒。
それまで散々待たされた仕返しのように。
やがて彼が言った。
「触れたい」
その一言だけで、胸の奥が鳴った。
もっと気の利いたことを言われる予定だった。
でも違った。
ただその声を聞いた途端、そんなことは全部どうでもよくなった。
「……それだけ?」
彼が少し息を吐いた。
困ったようにも見えた。
それが嬉しかった。
「言わせたい?」
「聞きたい」
彼は黙った。
目だけが私を見ている。
さっきまでなら、その沈黙に耐えられず、私の方から何か喋っていたと思う。
でも今は待てた。
この人が何を言うのか、ちゃんと聞きたかった。
やがて彼が言った。
「抱き寄せたい」
心臓が跳ねた。
「キスしたい」
今度は返事ができなかった。
言葉にされるたび、さっきまで自分の頭の中だけにあったものが、現実になって近づいてくる。
しかもこの男は我慢している。
「……まだある?」
自分で聞いておいて、声が掠れた。
彼は少し笑った。
「あるけど」
「けど?」
「今、全部言ったら、もったいない」
「何それ」
思わず笑った。
悔しい。
こんな状態になってまで、まだこの人のペースだ。
けれど笑ったことで、張り詰めていたものが少しだけほどけた。
私は掴んでいたシャツを引き、彼の上に跨った。
「じゃあ、考えなくていいようにして」
自分で驚いた。
こんなことを言う女だっただろうか。
少なくとも三週間前までの私は違った。
何が欲しいのかをこんなふうに口にしたことはなかった。
相手が察してくれるのを待って。
察してくれなければ少し不機嫌になって。
それでも自分からは言わない。
そういう女だった。
なのに今は、初めて会った男のシャツを掴んでいる。
自分から跨って。
自分から聞いて。
自分から望んでいる。
しかも、その全部をこの人に見られている。
恥ずかしい。
でも、もう戻りたくなかった。
彼の右手が上がった。
ずっと見ていた手だった。
その動きを目で追ってしまう。
ゆっくり近づいてくる。
それだけで呼吸が浅くなった。
けれど、あと少しというところで止まった。
「……何?」
思わず聞いた。
「本当にいい?」
一瞬、力が抜けそうになった。
ここまで来て、まだ聞くのか。
結局この人は、最後まで勝手に決めない。
だから私は、自分で決めるしかない。
「いい」
「何が?」
「もう……」
思わず睨んだ。
彼は笑わない。
ただ待っている。
私は一度目を閉じた。
もう逃げるのはやめた。
「触って」
言った。
たったそれだけなのに、身体中が熱くなった。
彼の表情が変わった。
ほんの少し。
でも分かった。
余裕が消えた。
その瞬間、胸の奥に妙な快感が走った。
ああ。
私、これが見たかったんだ。
私だけが乱されるんじゃない。
この男まで乱れるところを。
そう思ったら、急に大胆になれた。
私は彼のシャツを掴んだまま、もう一度引いた。
さっきまでテーブル越しに聞いていた呼吸が、すぐそこにある。
「ねえ」
「何?」
「今、余裕ないでしょ」
少し間があった。
「ない」
さっきまでなら、きっと誤魔化した。
そんな気がした。
だから、その短い答えがたまらなく嬉しかった。
「最初からそう言えばよかったのに」
「君が言うまで待ちたかった」
「ずるい」
「そうかも」
「ほんとにずるい」
彼の手が、今度こそ私の肩に触れた。
ただそれだけだった。
ただ肩に触れただけ。
なのに、大きく息を吸ってしまった。
何十分も想像していたせいだ。
触れられる前に、頭の中で何度も触れられていた。
だから実際の感触が来た瞬間、それまで溜めていたものが一気に現実になった。
彼の手が肩から離れそうになった。
その瞬間。
「待って」
自分でも驚くほど早く声が出た。
彼の手が止まる。
「何?」
私は答えなかった。
代わりに、その手を自分の手で捕まえた。
離さなかった。
彼が少し目を見開く。
それを見て、胸の奥がまた高鳴る。
今度は私が彼を困らせている。
「私が嫌だったら言うから、めちゃくちゃにして」
自分でも驚くほど、大胆になっていた。
「ねえ」
「うん」
「今度は私から質問していい?」
「うん」
「私が今、何してほしいと思ってると思う?」
初めて、彼が答えに詰まった。
それが嬉しくて仕方なかった。
「分からない」
「嘘」
「君が言わないと分からない」
「ほんと、嫌な人」
この男が欲しい。
「もう質問しないで」
彼が初めて笑った。
「分かった」
今度は。
「いいよ」ではなかった。
その答えを聞いた瞬間、私は自分からキスをした。